大阪市中央区の魅力大発見
大阪よいとこ一度はおいで!!<大阪城コース>
大阪城コース
大阪城
近世大阪の歩みは、蓮如による「大坂(石山)御坊」の創建に始まる。石山合戦終了後、
織田信長の遺志を継いだ豊臣秀吉が天正11年(1583)、大坂城を築いたことで、
世界有数の近世都市となった。秀吉はこの地を選ぶにあたり、上町台地北辺は
淀川と大和川の合流するところであり、畿内・瀬戸内海の水運の中心となれること、
軍事的にも守りやすいことを重視。空前絶後の大工事で大城塞を築いて、豊臣政権の
本拠地とし、大坂を日本の政治・経済の中心にしたのです。大坂夏の陣による豊臣家の
滅亡後は、徳川氏がこの城を再建し、江戸時代を通して徳川幕府の西日本支配の拠点
となりました。現在は史跡公園として広く親しまれています。
桜 門 巨石から計り知る為政者の威信
城の中心部・本丸へ入る正面入口が「桜門」で、門の両側には竜石(右)と虎石(左)がある。
秀吉の時代にこの付近に桜並木が並ぶ門があったため「桜門」と呼ばれた。門を入ると、
桜門枡形があり、ここにあった多聞櫓は幕末に焼失した。
この枡形の中で一番大きな石が「蛸石」で城内最大の巨石です。
備前岡山の城主だった池田忠雄によって搬入されました。
蛸石・・高さ5.5m、幅11.7m、重さ約130t 巨石の多い大阪城の
中で最も大きい石と言われる。
天守閣 天下を見下ろす豪華絢爛たる櫓
秀吉時代の天守閣は今の配水池のところにありましたが、徳川幕府により現在の位置に再築されました。秀吉の天守は高さ
約40mでしたが、徳川氏は幕府の威信を示そうと、高さ約58mの大天守を建築。現在の天守閣より高いもので、わずか39年後
の寛文5年(1665)落雷で焼失。現在の天守閣は、昭和6年(1931)豊臣大坂城の天守を「大坂夏の陣図屏風」などの資料をもとに
再建したものです。
大手門 城を守る強固な門と英知を誇る防衛術
城の正面入口・大手口にある門のことで、大阪城の正門が「大手門」です。門の真正面に
あるのが大手見付石(城中で4番目の巨石)、その左となりに大手2番石があり、これらの
石垣の上に長屋形式の櫓が建っています。このような櫓を「多聞櫓」と呼びます。石垣と櫓で
囲まれた枡形の空間は「大手口枡形」と呼ばれ、大手門からここへ入ってきた敵兵は、
多聞櫓の中から鉄砲による集中攻撃を受ける仕掛けになっています(大手門・多聞櫓は
いずれも重要文化財)。
西の丸庭園 天守閣を望む広々とした芝生庭園
「西の丸は」本丸につぐ重要な場所で、秀吉の死後、西の丸には秀吉の妻北の政所
お祢(ね)が住んだ時期もありましたが、後に徳川家康に譲り、北の政所は京へ移りました。
家康は西の丸を改築し、本丸とは別に天守を築いたので、豊臣方との対立をを深め、
関が原合戦の一因となりました。現在は西の丸庭園として整備されて芝生が広がり、
春は桜の名所になっています。徳川時代の遺構としては乾櫓や千貫櫓、火災を避けて
石だけで作られた焔硝蔵があります。
大阪歴史博物館 難波の宮跡に建つ歴史の情報発信地
飛鳥時代、この地には孝徳天皇がつくった難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)があり、奈良時代には聖武天皇の
難波宮がありました。難波宮跡公園に隣接する大阪歴史博物館は、この難波長柄豊碕宮の跡地の上に建っています。
地下には実際の遺跡があり、見学したり遺跡の発掘が体験できます。大阪の歴史が分かる常設展示は7?10階。
最上階は古代のフロアで、原寸大に復元された難波宮の大極殿があり、当時の宮廷儀式の様子を体感できます。
中世近世のフロアでは、昭和初期の心斎橋筋などの街角が再現され、記録映像などを楽しむこともできます。
越中井 細川ガラシャ終焉の屋敷跡
大阪城はその盛衰と共に多くの人々の運命を巻き込み、悲劇も生まれました。秀吉の死後、慶長5年(1600年)に起きた
関が原合戦では、西軍の石田三成が、城下に住んでいた細川忠興の妻お玉(洗礼名ガラシャ)を人質に取ろうとして、
細川家の屋敷を兵で囲みました。ガラシャは人質になることを拒み、キリシタンとして自分で命を絶つことは許されない為、
家臣に胸を突かせて死んだといわれています。37歳のときでした。細川屋敷の台所にあった井戸が、
越中井(細川越中守の井戸)として残っています。
聖マリア大聖堂(玉造教会) 荘厳さが際立つカトリック教会
明治27年(1894年)、聖アグネス聖堂が建てられ、昭和38年(1963年)に現在の聖マリア聖堂へと姿を変えました。
正面の大壁画と左右にある壁画は、堂本印象画伯の作品です。大小およそ100個ある窓はステンドグラスで、
イエスキリストの生誕と洗礼、聖母マリアの生涯などが描かれています。大聖堂前広場の両端には
キリシタン大名・高山右近と細川ガラシャの石像があります。
玉造稲荷神社 創建は古く豊臣家も崇敬
このあたりは古代、玉造部(たまつくりべ)が居住していたので玉作岡ともいわれ、境内の「難波玉造資料館」では
玉造部にちなむ資料の展示がおこなわれています。主神は宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)。
一般には穀物の神様・稲荷大神として知られる神様です。戦火による焼失後、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼が社殿、
高殿等を再建、豊臣?江戸時代を通じて大坂城の守護神として祀られました。境内の石鳥居は秀頼が奉納したものです。
千利休の屋敷もこの岡の南西にありました。
太閤(背割)下水
秀吉が整備した日本最古の下水道で、建物と建物が背中合わせになっているところに通されたので「背割(せわり)下水」
とも呼ばれました。石垣で固められ、東西に流れる横堀川に排水されました。通常は、一尺(約30cm)で、大きなものは
二間(3.6m)もありました。江戸期には、下水溝の維持管理は町内の町衆によって行われ、「水道浚(ざら)え」と呼ばれた
一斉清掃や、補修などの記録が残っています。かつては総延長約350kmあり、
今でも約20kmが使用されています(見学は要予約)。
水上バス〈アクアライナー〉 水辺の名所を優雅に遊覧
水上の船から眺める「水の都」大坂の風景は格別です。中之島公園?大阪城、造幣局といった大阪の名所が
水面近くからのアングルで満喫できます。左右がガラス窓になった見晴らしのよいウォータージェット船は、
全高2.3mの薄型の船で、低い橋も難なくくぐって、すべるように進んでいきます。
《循環コース》大阪城港→10分→天満橋港→10分→淀屋橋港→20分→OPA港→10分→大阪城港










